ブクレポ
ブクレポってどんなサイト?
login_header
新規登録(無料)
login_header
ようこそゲストさん 
  • ログイン
  • ブクレポとは?
  • ヘルプ
  • ホーム
  • 本をさがす
  • ブクレポをさがす
  • ユーザをさがす
30 あり!
あり!
このブクレポを評価しよう!あり!とは?
+5あり! +5あり!を取り消す +5あり! +3あり! +3あり!を取り消す +3あり! +1あり! +1あり!を取り消す +1あり!
このブクレポにあり!した人
信頼と愛 » « 義満の大望
book_report_header

書誌データ

小説・エッセイ
岩波書店
1989年 03月 発売
338P
9784000913584

目次

子午線の祀り/『子午線の祀り』について(二つの旅―書き上げたあとで(1)/どうやって書いて来たか―書き上げたあとで(2)/さまざまなジャンルから―第一次公演にあたって(1)/構想概要―第一次公演にあたって(2)/第二次公演を前に/『子午線の祀り』で試みたこと)/『子午線の祀り』をめぐって(詩劇の流行/ことばの“意味”の意味について/声(あるいは音)/寥廓/三十年ということ/或るせりふ構造について/現代演劇と能―創作者の立場から/『平家物語』と現代/弁慶/「『平家物語』による群読―知盛」について(再び))/ドラマが成り立つとき(日本ドラマ論序説―そのいわば弁証法的側面について/「見る」ということ/ドラマが成り立つとき)

見えていた

5

戯曲『子午線の祀り』及び「『子午線の祀り』について」「ドラマが成り立つとき」等の短文集が収められている。

マンガ日本の歴史第15巻 中世篇3「源平の内乱と鎌倉幕府の誕生」で描かれた平家滅亡の顛末から、先日来気になって、少しずつ読み進めてきた。


1978年に雑誌「文藝」に発表され、翌年初演された戯曲で、その1979年の公演をワタシも観ることはできた。が、理解など及ばないまま、40年近くが経過している。

台詞が時に古文調、時に口語調になっていて、最初の方は少しとっつきにくい。ところが、舞台も後半になり、壇ノ浦の合戦にはいる頃を描くシーンになるとそれはそれは圧倒的迫力で迫ってくる。

その部分というのはフツーの演劇の台詞とはちょっと異なっている。

例えば第四幕で、平知盛が台詞を言う際は、次のようになっている。

知盛 ここに新中納言知盛の卿、船の屋形に立ちいで、大音声をあげて宣いけるは、「戦さはきょうぞ限り、者ども少しも退く心あるべからず。・・・中略・・・東国の者どもに弱気見するな。いつの為にか命をば惜しむべき。これのみぞわがいわんずること」と宣えば―-


わざわざ自分を名乗り、その上で台詞を発するのだが、上記のとおりそれは古文調。

『平家物語』の地の文を借りて作り上げた台詞なのだそうだが、これが圧倒的迫力を感じさせるから不思議だ。明治前後の言文一致運動からわずかに百数十年、日本人は現在のような文章をつくりあげてきたわけだが、それ以前、千年以上にわたって書き継がれてきた文語体がいかに洗練されたものであり、格調と力強さとを備えたものであったかを台詞から感じさせられる。

まぁ、台詞の全部の言葉がすぐに理解できるわけではない。一応、高校で古文の勉強はフツーにやってたから言ってることは8割方わかるかな、という程度なのだけど、それでも迫ってくる言葉たち。


描かれているのは壇ノ浦をクライマックスに、平家側の軍事大将とならざるを得なかった新中納言平知盛を軸としての源平の攻防であるのだが、その人間同士の相克のみではない。

少し長い引用になるが、冒頭の読み手Aのナレーションは次のようになっている。

晴れた夜空を見上げると、無数の星々をちりばめた真暗な天球が、あなたを中心に広々とドームのようにひろがっている。

(中略)

地球の中心から延びる一本の直線が、地表の一点に立って空を見上げるあなたの足の裏から頭へ突きぬけてどこまでもどこまでも延びて行き、無限のかなたで天球を貫く一点、天の頂き、天頂。

(中略)

遠く地平の北から大空へ昇って遥かに天の北極をかすめ遥かに天頂をよぎって遠く地平の南へ降(くだ)る無限の一線を、仰いで大宇宙の虚空に描きたまえ。

大空に跨って眼には見えぬその天の子午線が虚空に描く大円を三八万四四〇〇キロのかなた、角速度毎時一四度三〇分で月がいま通過するとき月の引力は、あなたの足の裏がいま踏む地表に最も強く作用する。

そのときその足の裏の踏む地表がもし海面であれば、あたりの水はその地点へ向かって引き寄せられやがて盛り上り、やがてみなぎりわたって満々とひろがりひろがる満ち潮の海面に、あなたはすっくと立っている。


我々はこうして人間同士とは別の視点を最初に持つことになり、この戯曲が単なる人間同士の戦いやその結果を描くのではなく、人間の営みとは別の力が作用しながら時代の流れを作り、そこに生きた人々の命運を左右していることを感じていく。

同時に、第三者的に遥か天頂の彼方から小さい地球の、更に小さい日本の、更にさらに限られた場所である壇ノ浦で蠢く人々が、単に船に乗り、矢を射かけ、時代を決する戦いに従事していただけではないことを、新中納言平知盛という人物がどのように感じ、考え、行動したかによって知ることになる。

知盛は「運命」が見えていた。わずか30年前の平治の乱から台頭すさまじかった平家の没落の運命が見えていたし、それに随伴せざるをえない、自分自身の運命も見えていた。

しかし、見えていたからといって、それにどう抗おうがかないはしないと匙を投げ、シャッポを脱いで逃げ去ったわけではない。その中で精一杯抵抗努力し、精一杯生きようとしたのだ。

知盛は宮島の巫女であった影身(架空の人物・知盛の愛人という設定)を京へ遣り源氏との和解を上皇にお願いしようとしたり、阿波民部(清盛に重用された御家人、息子は義経に投降、影身を密かに殺している)に裏切るなと釘をさしたり、壇ノ浦の潮目が変わるまでに決着をつけようとしたり、総大将であっても能力のない宗盛には安徳天皇と三種の神器を守るよう(つまり戦に口出しをしないよう)お願いをしたり…等々。


しかし、どんなにあがきもがきしても、結局は平氏滅亡へと流れる奔流を止めることはできなかった。運命に敢然と立ち向かい、すべきことをしたあとで知盛はこう言葉を発する。「見るべきほどのことは見つ、今は自害せん」そして鎧を二重に着てザンブと海へ飛び込んだのだ。


今回、この戯曲を読んでみて一番感じたのは上記のような事柄であり、それはこの本の後半、「『子午線の祀り』をめぐって」等の様々な短文の中でも木下さんが何度も繰り返し述べていることである。「人間と、人間を超えてどうしようもなく働いて行く力と、その両者の対立、緊張関係にこそドラマの本質がある」(p.216)「なにかおもしろい事件や、単なる力と力の対立を手際よく描いたものがドラマなのではない」(p.310)ということを自作と、ギリシャ悲劇の『オイデップス』などを紹介しながら主張する後半もとても刺激的だった。


なお、阿波民部は結局平氏を裏切ってしまう。平氏方の後方の守りと前方への援助をまかされながら肝心な時に動かず、気が付けば義経の前に平伏していた。それも人間よと言うことはできるのだが、知盛との対象鮮やかなこの人物が、ワタシたち多くの人間の代表なのかもしれない。

+5あり! +3あり! +1あり!
【 読了日: 】
タグ
book_report_footer

ブクレポの輪

ブクレポの輪とは?

このブクレポへコメント

 ムーミン2号さんのブクレポ

義満の大望
マンガ日本の歴史 20
4
あり!:25     コメント:0
スピード感あふれる物語
ダルタニャン物語 7
4
あり!:30     コメント:0
なかなか安定せず
マンガ日本の歴史 19
4
あり!:25     コメント:0

 この書籍のブクレポ

ブクレポはまだありません。

この書籍のブクレポを書いてみましょう!

  木下順二の書籍のブクレポ

ブクレポはまだありません。

木下順二の書籍一覧へ